東日本大震災があった日、私は京都にいました。
原発事故の直後から、ニュースを見たドイツの友人たちから続々と連絡が入るようになりました。彼らは口々に「日本にいるのは危ないからすぐに帰国しなさい」と言いました。確かに子どもの将来のことを考えるとドイツに戻った方が良いのかもしれないと思い始めた私は、帰国の話を子供に相談してみました。すると長男は「ドイツに行けば僕らは安全かもしれないけれど、友だちを捨てて自分たちだけがドイツに行っても幸せじゃない」と反発しました。その時「私がいるべき場所は日本しかない」と気づかされたのでした。
日本に残ると決めてからは、現地の状況を報道で見るたびに、居ても立っても いられなくなりました。私には何が出来るだろう? 被災されたみなさんは何を求めているのだろう? そのことばかりを考えるようになりました。自分が避難所で生活することになった場合、一番欲しいものは何だろう? 毛糸です。
ー 指を動かすしあわせ ー
無心で編んでいる時、本当にしあわせです。つらい時、何もする気力が起こらない時、編むことでとても気が楽になります。
避難所で生活されている方々の中にも、絶対にそう思う方がいるはず。
私が被災地のために出来ることは「これしかない!」と思いました。
思ったら即行動です。知り合いの被災地支援NPOにお願いし、毛糸二玉と輪針、そして腹巻帽子の編み方説明書をセットにしたものを、いくつかの避難所に届けてもらいました。
周囲には「いまの避難所には水や食料品、生活用品が必要なはずだ」と、反対する人もいました。確かに、多くの避難所では毛糸どころではなかったと思います。
しかし、しばらくすると、気仙沼市唐桑町の小原木(こはらぎ)中学校避難所にいたみなさんから「とても嬉しい。もっと送ってほしい」という連絡をいただいたのです。本当に嬉しかったですね。涙が出ました。震災からひと月ちょっと後、ゴールデンウイーク直前の土曜日のことでした。
最初は「避難所生活をされているみなさんが、楽しく編んでくれればそれでいい」と思って毛糸を贈りました。しかしお電話いただいたり、避難所の方々が編み物をしている写真をお送りいただいたりするうちに、「ここのみんなに会いたい。一緒に編みたい。」と強く思うようになり、現地訪問を決意しました。家族と共に初めて気仙沼市の小原木中学校避難所を訪問したのは6月11日(土)のことでした。
避難所のみなさんと一緒に編んでいる時は、とっても穏やかな時間でしたね。
一ヶ月後の7月、2度目の気仙沼訪問時、避難所のみなさんと編み物をしながら話をしていると、「毛糸を使っ た復興のシンボルを作ろう」という話で盛り上がりました。そこで「しあわせをいっぱいつかみとれるように」という意味を込めた8本足の「小原木タコちゃん」が生まれました。
編み物で心の安らぎを得ることはできましたが、仮設住宅で暮らすみなさんには働く場所がないという大きな問題がありました。そこで私達はニット製品を製造・販売する会社を気仙沼に作りたいと思うようになりました。
そして震災から一年後の2012年3月、気仙沼の地に「梅村マルティナ気仙沼FSアトリエ」が誕生しました。
これを機に住民票も京都から気仙沼に移しました。
会社設立時に3名のスタッフで始めたアトリエは徐々に増員を重ね、ドイツの毛糸で編み上げた製品を、少しずつですが送り出すことが出来るようになりました。本当に長持ちする良いものだけをお届けしたいという気持ちで、気仙沼のスタッフ一同がひとつひとつ心を込めて編んでいます。
「面白い毛糸があるの」そう言って母からカラフルな毛糸を渡されたのは、2002年に南ドイツの実家に帰省した時のことだったと思います。メリヤス編みで一本の毛糸をただ編み進めていくだけで、素敵な模様が面白いように出来上がるとっても不思議な毛糸、Opal。魔法の毛糸だと思いましたね。
「どんな模様が出るだろう?」と想像しながら編むのはとってもワクワクします。これこそOpalの毛糸が多くの方々を魅きつける理由だと思います。このドキドキ・ワクワク感、みなさん分かりますよね?
この高級毛糸のメーカー・TUTTO社は実家のご近所さん。それで実家に帰る度に、大量の毛糸をまとめ買いするようになりました。
この毛糸に惚れ込み過ぎて、後に「マルティナ・オリジナルカラー」をTUTTO社に作ってもらうようになるとは、この時は想像だにしなかったんですけどね。
このオパールの毛糸との出会いにより、 毛糸にふれるしあわせが舞い戻ってきました。それからは仕事の合間や電車での移動の間など、いつでもどこでも編み針が手放せなくなりました。
編んでいて、一番楽しかったのは靴下です。2003年に京都知恩寺の手づくり市で「靴下を販売し、その収益をアフガニスタンへ」というプロジェクトを始めました。(2011年3月以降休止中)この時この靴下に「アフガニスタン、そして世界の平和につながる靴下」という思いを込め、『平和の靴下』と名付けました。
ドイツ語で Friedenssocken (フリーデンス・ソッケン = FS)。
これが活動の原点です。
東日本大震災のあと気仙沼に会社を立ち上げることになった時、社名について随分悩みました。 そして結局辿り着いたのは、「気仙沼でみんながしあわせになれる『平和の靴下』を作りたい」という想いでした。 こうして気仙沼FSアトリエ (KFS)が誕生したのです。
このKFSを通じて、気仙沼から全国のみなさんに編み物の楽しさを伝えたい。編むことの楽しさをみなさんと共有したい。そう強く願います。
『しあわせを編む仲間』の輪の中へ、みなさんのご参加をお待ち申し上げます!